ファッションについて

服装のことが昔からよくわからなかった。

だいたい中高生の頃になると皆オシャレを意識し始める。僕もつられて友達と一緒に服や靴を買いに行ったりしたものだけど、実際のところ「なんだかよくわからん」と思いながら買ってきた服をなんとなく着ていた。

ファッションのセンスとしては中高生の頃はグランジっぽいのが格好いいと思っていたし、大学生の頃は奥田民生の音楽が好きだったこともあってアメカジっぽい格好をしていたように思う。ちょっと前にノームコアが流行った頃には無印良品の服を買ったりしていた。そう思うと時代の潮流を少しは感じていたのかもしれない。
しかしそうは言ってもトータルコーディネイトでそういう格好をしていたわけではなくて、アイテムの買い方も着こなし方もよくわかってなかったからだいぶトンチンカンな格好をしていた。ジョジョが好きだったので無駄にたくさんジップがついた服を買って「スティッキーフィンガーズ!」と叫んでみたり、ミスタが着ているようなピタッとした服を探し回ったこともある(後でわかったことだがそれらは皆パリコレに出されているようなハイブランドで僕が手に入れられるような代物ではなかった)。そしてだんだん自分の格好がどうでも良くなってきていつしかファッションに興味を失っていった。

前置きが長くなったけど僕がファッションのことをよく考えるようになったのはここ2,3年のことだ。
音楽を始めてステージ立つようになってから自分の格好がちょっとみすぼらしくてだらしないということに気がついて(というか観に来てくれた人に言われた)、せめて見てくれる人に不快さを感じて欲しくないな、と思ったことがきっかけだった。あと音楽やってる人はオシャレな人が結構多くてなんだかそれだけで音楽も良いんじゃないか、と思い込ませられる。ステージにおいて見た目っていうのはとても大事だった。

街に出かけるたびに気になった洋服屋や古着屋に入るようになって、オシャレな人に話をよく聞くようになった。自分なりにファッションのことを研究して、自分の肌の色をよく見せる服の色があること、アイテム自体のかっこよさと自分が着て似合うことは全く別であること、男受け、女受けは違うということ、微妙なデザインの差でシルエットに大きな違いが出てくること、ファッションのジャンル、TPOがあること、などを学んでいった。
そうしているうちに「結局のところファッションは他人に見られるためにある」という非常に重要なことにようやく気がついたのだった。

オシャレを始めた頃にミュージシャンの友達のオバタケンさんと話をしていて、昔はファッションに興味がなかった、というようなことを言ったらオバタさんに「それって外見じゃなくて中身を見てくれ!って思ってたということですか?」って聞かれて「うーん…そういうわけでもなかったんだよな…」とちょっと考えてしまった。

またある時は同じくミュージシャン友達の仁=ジンさんに「最近オシャレをするようになった」と話したら「周りの人の見る目変わった?」と聞かれて「いや、周りの人のことはよくわからないですけど、僕が他人を見る目が変わりました」と答えた。
自分がファッションのことを考えるようになった結果、道ゆく他人がどんな格好をしているかよく見るようになっていたのだった。すると「ああ、あの人はああいうセンスでこういう趣味の人なんだな」なんて色々と他人のことがわかるようになってきた。

当時、お二人との会話を総合してすごく合点がいったことを覚えている。
それは「以前の僕はそもそも他人に全然興味がなかったんだ」ということ。
「外見じゃなくて中身を見てくれ!」とも思っていなかった。他人を人格のある人として認識していないのだから。人と人とも思ってなかったから平気でトンチンカンな格好をしていられた。僕の世界に他人はいなかったのである。
ああ、このことに気がついて本当に良かった。あのまま放っておいたら僕は自分一人で完結する世界にずっと生き続けるところだった。

結局のところファッションは他人に見られるためにある。
自分の格好が相対する人に対してどういう印象を与えるのか、僕は他人にどういう人間に見られたいのか、それは言い換えるなら他人とどういう関係性を結ぶのかということ。話す言葉や仕草、歌うことなんかと本質的には何ら変わりのないことだった。