生活

居心地の良い部屋、というものに、僕は未だかつて住んだことがない。
引越しは十回以上はやっているんだけど、引越しをした当初「ここを理想のオシャレな部屋にするぞ!」と意気込むものの、片付けに追われる数週間のみ多少がんばってあれやこれやを買ったり捨てたりして、とりあえず「まあ、住めるか」というところでひと段落した後は何年もそのまま、ということが往々にしてある。部屋の隅に置かれたダンボールが次の引越しまでそのまま置いてある、ということもよくある。

考えてみれば実家を出た当初は母が買ってくれた羽毛布団と旅行用のカバン一つだけを持って行った(正確には母が通販で買った布団はそのまま大学の学生寮に送られた)。
18歳の僕はなんにも持っていなかった。
今にして思えばそれはとても贅沢なことのようにも思える。両手が空いている状態っていうのは、これから何でもかんでも掴めそうな気がする。
寮を出て一人暮らしを始めた時も荷物は全然なかった。
だけど生活に必要なものを買ったり友人にもらったりしているうちにだんだんを「自分の持ち物」が増えていき、いつしか僕は「モノ持ち」になっていった。

引っ越しを繰り返すたび、モノの多さを実感してしんどくなっていくんだけど、その当時の僕はアホだったから「捨てる」という考えが全く浮かんでこなかった。それどころかまだまだモノを増やそうとしていた。モノを自分の財産だと思っていたのだ。

そんな意識のまま十数年が経ち、さすがの僕も学習したのか、一番最近の引っ越しでは結構な量の不用品を捨てた。
自分の中では相当な量のモノを捨てたつもりだったんだけど、今現在の部屋を眺めてみるとまだまだいらんもの置いてるなぁ、と感じる。

というより「自分の持ち物」は日々増えていくものなんだろう。
暮らしていく中で本だって買うし服だって買う、今度はそれらをしまうための収納道具を買う。
放っておいたら増えていくばかり、散らかっていくばかりで、これはもう自然現象のようなものだ。
そんなふうに足し算的に日々増えていくのなら、どこかで引き算をしないと帳尻が合わないではないか。
ところが、ほぼ自動的にモノが増えていくのに対して、引き算(具体的には「片付け」と「捨て」)は確かな意思を持ってやらないとなかなか実行されないのが困難なところだ。

ここ何年かはそんなことばかりを考えていたんだけど、僕にとって「片付け」と「捨て」というのはかなり苦手分野だったみたいで、この自然に増大していく魔物にはあまり勝てたことがない。いつも負け戦だ。

しかし、だからと言って戦わないでいるわけにはいかない。放っておいたら家は今以上にヒドい有り様になってしまう。
だから週3回のゴミの日に、レジ袋を片付け、ゴミを捨て、ビンカンを捨て、切れた電球を捨て、古くなったシーツを捨て、もう着なくなった古着を捨て、本を整理して、ギリギリのところで、人がなんとか住めるくらいの秩序が保たれている。

そんなわけで僕は昨今はやりのミニマリストとは程遠く、負け戦を続けながらモノに囲まれて生活をしている。